第9話) 日本語は天敵

語学学校に行こうが、オーストラリアに住んでいようが、日本にいようが、環境で英語が身に付くとは思えない。語学は自分との戦いである。周りは関係ない。

語学学校に一週間通っても、週に25時間程度の授業である。先生は生徒に飽きさせないように歌を歌ったりゲームをしたり、色々と工夫しているのが伺える。 その25時間の中で、自分が英語を使って話する時間は合計して15分あるかどうかである、結局は英語を話せるようになるのは、教室の外でどうするかであ る。

ある言語学者が、こんなことを言っていたそうだ。「成人になっても、自分の母国語を100%ストップし、英語だけで生活をし、一年経てばネイティブに近い 英語を話せるようになる」との事。もちろん、日本語を100%ストップして、一年間何も喋らなくては意味がない。今まで日本語で話していた量、聞いていた 量、読み書きしていた量を全て英語に置き換えて生活するという条件であろう。

当時は、日本に婚約者を置いて来たので、100%の日本語をストップすると言うのは別れを意味する(笑) 自分の環境では80%なら日本語をストップできるだろうと判断をした。ちなみにその婚約者は今の嫁さんである。

今、7年前を振り返って、この日本語ストップ作戦が、とても効果的だった。当たり前だがネイティブの様になるなんて99.99%不可能だが、それでも英語を覚える近道だったのは間違いない。

まずは、英和、和英辞書は半分は日本語で書かれているので、ストップ。英英辞書、それもアメリカの辞書ではなく、オックスフォードやケンブリッジなどの英 語辞書を購入。いつも栞を5枚挟んでいた、と言うのは、一つの単語を調べるのに、その単語の説明文が解らないので、また単語を調べる、その単語も解らない 単語で説明してるので、また調べる、終いには、何の言葉を調べているのか分からなくなるので(笑)栞が必要だった。

なんで5枚かというと、キリがないので、5枚の栞を使用して分からない場合は英和辞書を調べるというルールを自分で作った。そして、調べた単語は、自分の ノートに「自分用の英英辞書」のような感じで、例文を交えて一個一個作った。こんな事して、英語を覚えれるのかなといつも疑問だった。

スピーキングや、ライティングの時は、和英辞書を使う必要があった。日本語は外来語で英語がカタカナになっているものが多いので、比較的名詞は覚えやすく 有難かった。しかし、形容詞や副詞、動詞は日本語訳とズレているので、和英辞書で調べても、必ず英英辞書でダブル・チェックしないと頓珍漢な英語を話して しまうので必須だ。

この英英辞書、3ヶ月でボロボロになってきて、一年後には手垢で真っ黒、テープで継ぎはぎな辞書となった。いつも読む本は英英辞書という徹底振りだった。

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ニュースも日本語では読まない、ビザの情報が欲しかったので、日本語フリーペーパーだけは読むようにしていたが、ネットでニュースなんかも読まなかった。もちろん日本語も聞かないように日本人は避け、読まない書かない聞かない喋らないを可能な限り通した。

やはり、何事もインプットが無ければ、アウトプットは有り得ないので、聞きまくり、読みまくりが最優先に必要なことだと思った。そうすると徐々に話すリズ ムや言い回し、イントネーションなどを覚えるし、エッセイを書く時もパターンが分かってくる。あとは単語力が付けば、一気に伸びる!


朝、目覚めて「Good Morning」から、「Good Night」と寝るまでの一日を英語で通さないと駄目だろうと、日本人の住んでいないシェアハウスを探した。David とVincent というオーストラリア生まれの二人が住んでいる家の一部屋を借りて共同生活が始まった。

このVincentが日本の電化製品大好きで、パソコンからポータブルCDプレイヤー、デジカメも何でも日本のメーカーを持っている。そして、僕が引越し して来た日から、質問攻めにあった。間違った発音をすると直してくれる、自分が聞きづらいので、知りたいことをスムーズに聞くためという単純な理由から だったが、有難いハウスメイトだ!
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この国は、本当に年齢なんて関係なく、まだ20歳くらいのVincentが、一回りも年上の僕を普通に接してくれる。日本の感覚だったら、いくら共同生活とはいえ、自分より5歳年上の人が住み始めたら、ある程度距離を置きたくなるものだろう。

時々、語学学校の終わる時間に迎えに来てくれて、色々と喋りながら、どこ行くわけでもなく、ただ30分の道のりを歩いて家に帰るだけなのだ(笑) それでも、いつも彼は何かを 質問してくれるので、僕は絶対に答えなら無くては駄目で、これが良い英語のトレーニングだった。
友達の家に行くって言って、一緒に連れて行かれ、20歳く らいの若い子達のマリファナパーティをこの目で見て驚いた。ちなみに、このVincentも僕もこっち系には手を出さず、彼は「やつらがマリファナパー ティしてるって知っていたら、行かなかったのにゴメン」と何度も謝ってくれた。僕にしてみれば、なかなか見れる光景じゃないので楽しかったが(笑)

もう一人のDavid、バイクが好きで、日本に2年くらい英語の先生をしていたので、日本の文化を良くしっていて、日本人の英語訛りもよく知っているの で、僕の英語の間違いを直してくれた。ただオージーは基本的に面倒くさがりなので、自分の生活ペースは乱さないように、気が向いたら英語を教えてくれる。 このDavidは自分の言いたい事をダ~っと話続け、永遠に話をしている。これはこれでリスニングの勉強になっていた。

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ただ異国人との共同生活は大変だった。まず、誰も掃除はしないので、放って置いたら末恐ろしいことになる。他人の事まで考えるという事をしないので、夜中まで音量を上げながらテレビをみたり、人が勉強していてもお構い無しに話し続けたり、そりゃマイペースな人たちでした。

しかし、このDavid・・・、僕のブリスベンでの美容師活動としての道のりに、後々まで重要なキーマンになるとは、この時は予想もしなかった。

この家は、部屋が一個余っていた。ある日「Yasu, 日本で美容師をやっていたのなら、この余った部屋を使って友達の髪とかやってあげてもいいよ」

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そう言ってくれて、余っている8畳間程度の部屋の改造計画が始まった。もちろん家賃は二部屋分払う約束でスタートした。

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