我、弱ければこそ。

人の出会いと言うのは、本当に不思議なものである。
このインターネットの時代、家に篭っていても出会いはある、日本なら携帯電話一個で世界と一つになれる。
それは自分が誰とでも出会える可能性がある、ということだ。

しかし、可能性があると言うだけで、憧れの人、理想の友人、語り合える仲間と実際に出会えるかどうか確立をはじき出すと、数十億分の一の可能性かもしれない。個々の職業やライフスタイルなどの条件から計算すれば、数兆分の一の確立かもしれない。

自分がコツコツと努力を重ねて、階段を一個一個のぼって行くと、その途中にはそれぞれのステージがある。やはり頑張っている人達と一緒に時間を共有したければ、その人達と同じステージに立たなければ出会えない。だからこそ、その舞台に足を踏み入れた瞬間に、自分の求めていた理想の仲間と出会える確立はググっと一気に高くなる。

この「Junk Stageの仲間に入れて頂けるというステージ」に一段足を延ばせることができたのは、運とタイミングと自分の変わった経歴だろうか。
突然、舞い込んできた丁寧な一通のメール。それはスタッフの桃生さんからのお誘いのメールだった。丁度、自分で本を出版できないだろうかと思っていた矢先の出来事であったのもあり、偶然という言葉だけでは片付けたくない。自分のここまで登ってきた階段を振り返り見つめなおす良い機会(ステージ)を与えてくれたことに感謝感謝、である。

「我 弱ければこそ」

頑張っているとか苦労しているとか、その渦中にいると真剣に生きているので気がつく余裕などはない。「俺、今苦労してるよ」「今、頑張ってます」と言える間は、まだまだ足りないのだ。本当に苦労中は、自分の苦労など感じている余裕などないし、頑張っているよって言える間は、もっともっと頑張れるキャパが残っている証拠だ。それじゃ、いつ感じるのかと言うと、自分を振り返って、後方の足跡を目で追ってみれば、わかる。
あの時が努力していたのかも。あの時、そういや頑張っていたな。と過去の自分の情景がフラッシュバックでよみがえる。だから苦労や頑張るって、過去形と一緒に使うものだと個人的に思うのだ。

今の自分の本業は美容師である。自分は人に使われるのが嫌だから、人の上に立ちたいと思って、経営者になるために理美容業という業種を選んだのは高校3年生の秋だった。根っからの理系人間なので、工学系の大学に行きたかったが、理科は学年トップの成績を収めていても英語が常時赤点では入れる大学などたかが知れている。

自分は、弱かったからこそ、英語の勉強が必要ない理美容専門学校を選んだ。

今、自分はオーストラリアで生きている。オージースタッフと4年間一緒に働いたし、英語も勉強した。生きていくために必要なもっとも大切な道具、それが英語だったからだ。サロンに勤めて直ぐのころは、英語さえできてれば違った道に進めたのにという思いが強くあった。英語の成績が良ければ、こんな辛い修行じみたことをしなくてもいいのにと悔しい思いもした。32歳になって新たな挑戦、敵討ちの意味もあり、英語をメチャクチャ勉強した。憎らしき英語を相手に泣きながら勉強した。これは一見、強い精神力に見えるかもしれない。しかし、実は自分が弱いから、強く立ち向かう努力をしないと、自分の弱さに埋もれてしまい身動きができなくなってしまうから・・・。たった一度の人生が意味もなく終わってしまいそうで。その不甲斐ない結果だけが嫌で、コツコツと進んできたのである。いや、これからも進むであろう。

恐れ多くも、日本へ帰るたびに講演会をしたり母校で授業を開かせて頂き、大勢の人の前で話をする機会を頂いている。ブリスベンのFMラジオでは、パーソナリティもしている。しかし学生の頃はクラスの同級生の前で話をするなんてできない生徒だった、手を上げて発表するなんて考えられなかった。なぜ、こんな弱虫な子供が、今のように図々しくも人前で話をしているのだろうか。そんな自己分析もしてみたい。

人間なんて弱い生き物である。そんな思っているほど強くなんてないさ。

そんな弱さを受け止める勇気を持てて、負けないで頑張ろうって気持ちになるのだ。

僕だって、弱虫の塊。

けど、今は海外でオーストラリア人相手に仕事をしている。ブリスベンで勉強している日本人留学生を集めて起業家を育ててようとサポートしている。

「我 弱ければこそ」、僕は弱い人間だ、だからこそ負けないように頑張ろうと努力してきた。その今までの軌道をこのWebマガジンで連載していければと思う。

そしてもう一つ、日本の素晴らしさを伝えていきたい。海外から日本を見たときに、全てにおいて日本は優れていることに気づく、みんな灯台下暗しで足元が見えていないのかもしれないが、実は日本って凄いのだ!美容師の世界でも日本の技術とサービスは比べ物にならないほど精密にできている。その外の業種、全てにおいて日本は世界でトップクラスなのだ、しかし世界に通用できていない分野があるのは何故だろうか?日本の外に出て初めて知りえた事柄も、僕の視点からお伝えできればよいと思っている。

世の中で一番面白いものは「人」であり、「人生」である。ここに参加している皆さんといつの日かご一緒にお話できる日が来ればいいと願っております、どうぞ宜しくお願い致します。どうぞ仲間に入れてください。

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